与えられた「環境」をどう考えるか?
この考え方で、行動も変わって来るかもしれませんね。
ノーベル文学受賞者のジョージ・バーナード・ショー氏は、アイルランドの文学者、脚本家、劇作家、評論家ということですが、こんな言葉を書いています。
「人は自分の問題を環境のせいにばかりしている。
私は環境など信じない。
世間で頭角を現す人物は、自分の望む環境を自ら探し求める人物であり、もしそれが見つからない時は自分で創り出す人物である。」
与えられた環境のせいにしない。
だから、環境や状況については、信じないのでしょう。
では、望むような環境でないなら、どうすると良いのでしょうか。
世間で頭角を現す人物は、自分の望む環境を自ら探し求める人物であり、もしそれが見つからない時は自分で創り出す人物である。
ということで、ないなら、探す。
探しても見つからないなら、自分で創り出す。
こういうことですね。
望むような環境、状況は、探すか、自分で作るということです。
このように、望むような環境は、見つけるか、自分で作るという考え方をすると、環境や他の人のせいにしなくなりますよね。
与えられた環境、状況は、自分でどうにかする。
そういう考え方になるわけで、今の環境、状況などを、他人のせいにするといったことはなくなる。少なくとも、減っていきますよね。
としたら、景気が悪いから、売り上げが少ないとか、上司がダメだから、うちの会社はダメだとか、そういったことも考えなくなるかもしれません。
人のせいではなくて、望むような状況を作り出せるように、どうにかしようと考えて、動くはずです。
文句を言うことも減って、精神衛生上、ストレスなども減って行くかもしれません。
ただ、全部自分のせいだということになると、シビアというか厳しくなって、それがストレスになるかもしれませんが。
そうできたら、結果も変わってくるでしょう。
人のせいや周りの環境のせいにするのは、楽ですからね。自分は、動かないで、文句の一つでも言っていればいいわけですから。
しかし、それでは、変わるかどうかは、他人次第、環境次第になってしまいます。自分の状況を他人任せ、環境任せにしたくないなら、与えたれた環境、状況を、望むように変えて行く。問題を解決して行く、というように動きたいものですね。
ちなみに、バーナード・ショー氏は、映画などの「マイ・フェア・レディ」の原作になったピグマリオンを書いた方でもありますね。